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母子日赤だより

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ララバイ

図書室に埋もれていた本を読んでみました。

ふかい山で夜ふけにテントをぬけだして、星でちりばめられた天の円蓋をひとりで見あげているときのように、無辺際にひろがったまわりの世界にとりかこまれている場合、天穹※の真下にひとりきり立っている自分が万有によってつつまれ、偏在者のなかへ同化する神秘的体験となりやすい。つまり自分から分かれて外化してでた自我の分身は、天穹と合一して「天なる超越者」となり、星のまたたきは自分にむかって暗示をおくる信号となる。※・・・穹は空のこと
(1970年出版、孤独の世界、島崎俊樹著を一部改)

同様(?)の山中神秘体験から、ドイツの哲学者であるニーチェは永遠回帰という思想に到達したと伝えられています。

自分と周りの環境が同化するような神秘体験は、日常生活とはかけ離れていますし、本当なのか疑わしいものです。夢やある種の芸術体験、スポーツでゾーンと言われている高揚状態はそれにちかいものかもしれません。しかし、我々もかつてそうであった赤ちゃんは自己と他者の区別することはまだできないので、いわゆる神秘体験に近い状態を日常的に体験しているのかもしれません。

だとすると赤ちゃんにとっての星のまたたきはなんなのでしょうか?赤ちゃんはまだ目がよくみえないので、音について考えますと、デジタル音源全盛の現代社会では、子守唄(ララバイ)は、人間の生の声・リズム・感情を含んだ貴重な赤ちゃんへの信号の1つかもしれません。ためしに山の夜空をイメージして、子守唄を唄ってみるのもよいかもしれませんね。

小児科医師 来住

(絵:来住医師お子さんの力作!)